エッセー自由美術

錯綜する思惑

長谷部昇

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「錯綜する思惑」(油絵・未完)

何だか焦臭い空気が漂いはじめたような気がしてならない。呼応するかのように、私の中では過去に遭遇したさまざまな「もの・こと」が浮かびあがり、不規則に錯綜しあう。

2011年に発生した東日本大震災、連動して起った原子力発電所の爆発事故、そして放射能という目に見えないものに怯えながら故郷へ何年後に戻れるかわからない人々の悲しみと怒り。為政者の 「完全にコントロールされている」という能天気な発言が空恐ろしい。

2006年、M新聞の特集記事を興味深く読んだ。第2次世界大戦で最悪の戦いと呼ばれたインパール作戦に参加し生還した旧陸軍の兵士たちが協同して「鎮魂」という冊子を編さんした。その中心的存在の方の生前の姿を紹介しながら「その足跡を今後に繋げる必要がある」と問題提起した記事内容。

その中に「陸軍中将

佐藤幸徳」の名前があった。佐藤幸徳は山形県余目町出身で私の父とは母親が姉妹という従兄弟である。私の中には今も 「コートクオジサン」として存在している。

インパール作戦に参加した三個師団の兵士は 10万人、そのうち7万人(一説では6万人)が戦病死したという無謀な戦いから生還した兵士のうちの四国出身者(在住者)たちが戦病死した戦友への追悼の念と戦争への怒りを込めて編さんした「鎮魂」。その最後のページに「われらは戦争の実相と平和の意義を次代に継承する。それが苛烈な戦争から生き残った者の使命だから」と毛筆で大書。また、その冊子には部下を全滅から救うために「責任は自分が負う」と自身は死刑覚悟で部隊を独断で撤退させた第31師団長

佐藤幸徳が軍参謀長へ打電した電文も掲載されている。(佐藤幸徳の師団長としての一連の行動は、後に「抗命事件」と呼ばれるようになった)。この電文の存在は私たち家族も以前から知っていた。以下にその一部を紹介する。

『(前文省略)・・・・その重大なる責任よりまぬがれんとするにきゅうきゅうとし(中略)複雑怪奇なる命令をくだして、時々刻々全軍を自滅の深淵に転落せしめ、(中略)軍規を楯にこれを責むるがごときは、部下に対して不可能なることを強制せんとする暴虐にすぎず。いずこに統師の尊厳ありや。(中略)将兵一同の痛感せるものは、各上司の統師が、あたかも鬼畜のごときものなりと思うほか、何ものをも印象をうけず。(以下省略)』

あの時代状況で軍参謀長に打電したこれほどの抗議を含めた激しい内容の電文なのにコートクオジサンは死刑にならなかった。そして別の戦地での任務を再び命じられた。なぜ軍はそのような処置にしたのか。・・・私は10代の後半に次のような話を聞かされた。即ち、中将以上を対象とする軍事の法廷は最も偉い人の前で開かれる。コートクオジサンは、軍命を下した上司のデタラメを指弾し、罪もない戦病死者7万人の状況をつぶさに語るための最高の機会と捉え、この法廷は師団長としての最後の最も重大な任務であると覚悟した。しかし、それら事実が明かるみになった場合の軍としての「負の部分」の蔓延を恐れた誰かが軍事法廷を開かず、肝心の部分を隠蔽してしまった・・・と。

戦後、一時的に故郷に戻ってきたコートクオジサンは周囲の人々から必ずしも正当に評価されなかったらしい。また、食料も充分でない厳しい中で家族みんなが力をあわせて生きていたとのこと。現在、遺族の一人は沖縄県にある戦没者の墓碑を守る仕事をしているという。その方には、いつ・どのようなかたちで天の啓示があったのだろう。

長々と親族のことを書いてしまった。しかし、私たちにとって「組織とは何か」、「組織と個人の関係」等は常に忘れてはならない根本的な課題である。その課題解決のヒントが、この「抗命事件」の中にあるように思われる。私たちは「先人から何を学んだか、次代に何が継承できるか」を今、問われている。

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「錯綜する思惑」(下描き)