相互批評

小暮芳宏・小野田志津代

〜小暮芳宏の世界〜立体部 小野田 志津代

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小暮芳宏:「飽食」

漆黒とは違う、宇宙の闇のような空間にはっきりと浮かびあがる白い生命体。

小暮芳宏は確かに"そこに在るもの"を描いている。作品と対峙していると、明らかにリアルな具象を見ているのだと気づく。

静寂な空間だが、無音ではない。鑑賞者の気質に働きかけてくるささやきが聞こえてくる。

彼は自分にしか見えない何ものかをモチーフにして、霊的な世界を表しているように思う。

「刻印」という作品がある。私には脳の皺を筆で丁寧に刻印していく作業をしているイメージが浮かび上がる。

永遠の中に一瞬を刻み、描いていくことで人間の奥底にある得体の知れないものを具現化し、同時に昇華しているのだろうか。しかしそれはドロドロしたものではなく、むしろ清廉さを感じる。宇宙と生命への畏敬の念があるからなのだろうと思う。

作品を見ていてふと"生物魂"という言葉を思い出した。小さな物質が一つの磁場単位である様に、私たち生物も「生物魂」という一つの磁場単位を形成している。

それ自体が一つの感覚器であり、大きな眼だと捉えることもできる。

可視光線で見える色を一切取り払った世界。そこに浮かび上がる生物魂。私の中では小暮芳宏の描き出すものに通じる気がした。

ここ最近、私の木彫作品と彼の作品と同じ空間に展示する機会があったが、違和感の無さが驚きでもあった。

木彫は一度生を受けた木と自分との共同作業で、技術と鍛練の上に、お互いを導き合う所が大きい。画家のモチーフが自身の魂であるとするなら、その形を平面上に導きだすには孤独な闘いが繰り広げられるのだろう。さらに静かなる強い作品を生み出すには相当燃え上がるものが作者に内在しないとできない。立体にせよ平面にせよ、これは創作する者の所以である。

小野田志津代より生れしもの 小暮芳宏

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小野田志津代:「風」2009 年

小野田志津代の作品に共通する印象は、"実存"感であり、強い訴求力である。

「風」(2009年作)に見られるように強い自己主張がそこにはある。それは、素材の特性によるものではなく、制作者の意図に導かれたものでもない、全く別個の人格を有しているかのようである。

そして、観る者に一人称でその存在を語ってくる。「わたしは此処に居る」と。

これは、小野田志津代が作品制作に関して「格闘」というように、素材と制作者の意志の融合というよりも、むしろ、その乖離したものから生じるものではないか。それこそが小野田志津代作品の魅力であると思う。

だが、大作については見方が変わってくる。それは、「風」(2009年作)サイズの作品に比べ、冗長的な点が少し気になるということだ。作品の大きさにもよるのだろうが、持て余し感が窺える。統一的よりも一面的に見える。もっと突き詰められる余白があるのではないか。

もっと荒々しく、もっと慎重に素材に対峙することにより、冗長性は消え去り、内包される活力はより強い主張となり現われるだろう。

繊細さと大胆さ、相反する基準値の混在と同居によるアンバランスが、合理的矛盾、矛盾した合理性を生み、観る者に心地よい混乱を与え、脳細胞を活性化させ、より魅了したものになるだろう。

具体的に、どうこうは言えないが、こんなふうに思う。

しかし、小野田志津代の作品は見ていて大変面白い。それは作品が強烈な"アイデンティティー"を放っているからだ。

(文中敬称略)