自由美術80周年を祝す

谷 本 重 義
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「宙を舞う」            谷本重義

私が30代の頃の話だが自由美術は憧れの団体でありそこに入選した喜びを感じていた。毎年10月末が自由美術展の最終日だった。上野の都美術館をあとにして夕日に照らされながら上野駅に向かうのだが妙に満足感と開放感に足どりが軽やかだった。今年もいい絵が描けた。それは独りよがりの至福であっても四国から東京に住むようになった自負のひとかけらであろうか。電車に揺られて立川のアパートに帰った。

88歳の米寿を迎えた私は故郷香川に還って40年にもなる。自由美術展には毎年出品した。永い間鍛えられ磨かれて自作の数々を今は画集を編纂すべく整理している。遠い昔1973年新宿紀伊国屋画廊で個展をした。カタログに我が自由美術の井上長三郎先生に文を戴いた。

『谷本の作品に登場するあのシニカルな紳士たちは文明開化の錦絵から抜け出て来ました。これは超現実的な興味をそそります。・・・明治と今日、肯定と否定・・・そしてここには隠された風刺が威力をもちます。彼の好んで描く村の祭日、女義太夫、ちんどん屋、夜店にならぶオモチャ、天狗の面、おかめの面、ヒョットコの面・・・この色どりや形態にはどこか彼の故里四国に伝わる農民の手になる民具のにおいがします。この土俗性と云いますか庶民性は大きな魅力です。このモチーフは必然的に在来の油絵からの脱出をそして彼に今日の独特な技法の展開を可能にしました』。

来年4月に坂出市かまど大ホールで私の米寿と画集出版記念を併せて自選展を予定しているのだが井上先生の文章の指摘とその後40年を経た自作にブレがないかを眺める楽しみもある。

ここで米倉守の評伝『中村彝−運命の図像』の一部を書いてみよう。「画家の一生は初期で定まる」と私は思っている。若い時期にすぐれた作品を残していない人は生涯作り得ないかも知れない。作家の本質は20歳代でほぼ定められてしまう。画家はその自らの枠のなかで、農耕が繰り返し繰り返し、死んだものを再生してゆくように自分を耕して行くしかない。初期に質の低い画家は、生涯その低い内容のなかで仕事をするしかない。人間は年齢を重ねるごとに大きくなってゆくということもあるかも知れないが絵画にその種の段階的なものはないだろう。高いか低いかである。いいかえれば初期の美は初期の美、中期の美は中期の美という完結した姿で存在する。初期が生涯を決定するように、晩年が初期に通じるという二重性はあるだろう。晩年に大成した作家がいるとすれば、それは初期も、中期も質はすぐれた作品を残しているにちがいない。人が時代が見抜けなかっただけの話だろう。

自由美術の創設80周年、多くの優秀な画家が去来しました。立川時代西八郎を中心に三多摩自由美術で活躍した同志も数少なくなりました。今は自由美術香川支部川添正次郎支部長のもと14名で奮闘中。市村力、麻は鬼籍の人、悠久の画家となった。

さて私の画集は油彩100を掲載、気持よく描けたものを選んで東京時代、帰郷前期、晩年の三部に編成。一画家のエトワスが、制作には作法と流儀がそしてちょっぴりミステリーが利いていればよしとする。自作をひと掴みにして心静かに味わってみたい。