自由美術協会

公式ウェブサイト

エッセー自由美術

三つの会場・技巧の完熟・美術の爛熟

大野 修

自由美術本展2014_img_31.jpg

5月、都美術館で開かれたベストセレクション展を見て、日展、院展の日本画の超技巧作品に感心した。その完璧な技巧は永い歴史と研鑚の末、今、極に達していると思った。

胡粉の盛り上げ、彩色、線描、たらし込みの妙、また色料、紙の材質が選りすぐられていて、作品から美香が匂い立ってきて文句無しに美しく、胡粉の盛り上げなど使い方ひとつを見ても、ここまでの修練、加算された時間は大変なことだと想像した。それに画面の構成、構図も隙なく、虫眼鏡で見ることが許されるならもっと快楽を味わうことが出来ただろう、過日私は院展の作家から画材一式をゆずっていただき少し試みたが、陳列された作品との距離は、遥か彼方、銀河を飛び越えてアンドロメダ星雲の果てにある。

洋画と呼ばれる各団体の作品は日本画のように系統だった伝統技巧は未だ無いだけに百画百様、より身近なものとして見られたけれど。画面の大きさがまちまちで、いかにという技巧の競い合いがあり、アクリル、岩彩、ペンキ、樹脂、金属など多才。絵具の量も作品の重さも年ごとに増えつつある。

同時期にバルテュス展と東京自由美術展が開かれていて、バルテュス展はベスト展と対照的で、画面は部分的に泥絵具を溶剤にまぜテンペラ風に意図されている程度でこれといった技巧はない。それだけに世紀末のヨーロッパの爛熱がストレートに伝わってきた。

バルテュスは性癖と実益が一致した幸せな人で(人全て、それぞれ種々性癖有り)秘匿、死蔵され世に知られていない少女画は数多くあるはず。そうでなければあの貴族的生活はなかったろう。私はバルテュスの作品に欧米文化の爛熱を見るのだが。彼の地のこれから先の爛熱の果ては、女権がいっそう強くなり女バルテュスが現れ、あやしく少年の美が描かれるだろうと思う。ピカソがバルテュスを20世紀最後の巨匠と言ったとか・・・・それがそうなら20世紀も20世紀の果ても寂しいことだ。

バルテュスはユダヤ人の血も混じっていて、あのヨーロッパを巻き込んだ戦乱、殺戮のただ中を生きたわけだが、少女と向き合う静かな夢のような日々。作品は見事に煙硝の臭いも血の臭いもしない。私はそこに行き着いた末の、文化の余剰、爛熱を見るのだが、しかしバルテュスのこだわり、主モチーフには少々の不満もある。人間の身体は年令性別を問わず美しい。であっても雛菊や桜の美はわかりやすいが、老松の美はわかりにくい。

裸のモデルといえば大方は美しさが誰の目にもわかる25才前後の女性で、バルテュス描く少女のミステリアスもそのほんの近くにある。バルテュスと制作年代がほぼ重なる20世紀最後の真の巨匠、我が敬服するモランディはさしずめ老松の美だろうか、比べると、そこには無限のミステリーと20世紀の絵画を撃つ、哲学といったら俗になるが大いなる構想がある。

技巧をはなれて、ベスト展をそれでものバルテュス展と比べてみると、大方は内容のこだわりと、偏執的なるもの、狂気、といったものが稀薄で、牧歌的幸せな空気がただよっていた。だから逆に日展、院展の超絶技巧だけが確かなものとして私の中に入って来たのだろう。ただその中で、小倉信一さんが描かれた、昨年の東美展出品作 イノチハコブ−水− に続いての ベスト展出品作 イノチハコブ−キオク− に偏愛、こだわりをもった純水を求める気が満ちていて、感動し、教えられるところがたくさんあった。

自由展の会場ではその特質になかなか気がつかないが、ベスト展で他団体の絵の中に混じると、これといった技巧を凝らしていない技術といったものも見え、技巧の快楽を超えて迫ってきて考えさせられた自作を反芻した。

東京自由美術展とおよそ50年前のバルテュスとの比較はあまり意味がないが、技巧の競い、絵そらごと、浮き世離れした題材が多いベスト展と比べると、決してかっこよくないけれど矛盾に満ちた、我々が今在る存在の反映があって私は身につまされる、又労力多くして見返り少なしの立体作家の全力投球にも脱帽した。

ものを創るには技巧の巧みは必要不可欠なものだけど、困ったことに技巧の快楽というものがあって、往々にして内容と離れて一人歩きをする。又、現代技巧の一種、穴を掘ったり、シートを被せたり、それも結構だけど、結果、行き着く先は地獄の沙汰も金次第で、いつもそれらを見て、もっともっと金をつぎ込んだらすごいのが出来るぞと作品のイデーを越えて思ってしまう。どの様な作品も、万人自分なりの技術、技巧を持っていかに表現するかに尽きるのだけど・・・・

日本には自称絵描きは10万人いるらしい。(某美術雑誌の推測)私も当たらずとも遠からじと思う。1人が絵と人間を知っているのはせいぜい100人ぐらいの井戸の世界で、未知なる999の世界があり、計算を続ければ毎年2、3万点の作品が何らかの形で消失しているだろう、それらも含めて私は外界を知り自作の領域を広げたいと思う。その貪欲さがなくなればすなわちアウトだが、幸い今はネットの時代、大方の概要だけでも知りうるありがたい?時代で、各所のホームページ、ブログ、フェイスブック、ツイッター、ミクシィ、デジブック・・・・油絵の技巧集を集めた動画などあり、虚像ではあるが歩かなくても歩けなくなっても受信と発信が出来る。で便利ネットで私はざっと世界を一周してみた。ヨーロッパの世紀末爛熱の風は我が東洋に写し絵の様に達し、今世紀、神はまだ眠っていらっしゃるようだ。この時代私達は描くこと見ることに加えてもっと多く知ることも大切なのかも知れない。