自由美術協会

公式ウェブサイト

美濃部民子

minobetamiko2013.jpg
「都市伝説−進むべき道」

女子美術大学の洋画専攻を卒業したものの誰れに師事することもなかった私は縁あって自由美術に出品するようになり、自由美術は私の主な勉強の場となった。諸先輩の絵に打ち込む姿勢や考え方は右も左もわからぬ私にとって驚くばかりで絶対値の様に響き、自由美術関係の方々の個展やグループ展に出向きそこに集う人々の語らいを熱心に聴いたりしたものだ。

私は造形的に思考するより言葉や物語で考えることが好きだったので、始めのうちはどうしても文学性の優った作品づくりに傾いていた。自分の造形性の弱い作品を強くするために非対象の作品を創りたいと腐心し線には何故直線と曲線しかないのか?などと思いつつ、自由美術展を熱心に鑑賞し、自分の作品を描いていくとそれらしい作品が何となく出来あがっていった。色々と御批評などいただきながら、だんだんと自由美術風な絵になり今思うと何か不自然な感じではあったもののどうしたらいいのか?どうしたいのかも判らないままに私の30 代は過ぎていった。

室内風景的なものを基にしてモンタージュ的手法で物語性を抹殺し創作に励んでいた時輪郭線と色面をずらして描くことを思いついた。その背景には自由美術諸先輩の線を巧みに使った作品があったからだと思うが、自分にとってはラッキーな救いの手のように思えた。爾来「下手なイラストじみた線は止めろ」「あなたの絵も線がなければいいのにねェ」などとの親切な言葉をものともせず、せっせせっせと画面に線を取り込んで今日に至っている。

線と面とを切り放すことは思いついたものの、今ひとつ自分自身と自分の作品がしっくりしないと悩み続けていた頃にアルマンの展覧会を見た。同じものを沢山集めて固めてみせたりする立体作家だ。その作品が何かしみじみしてて良かったのはもちろんだが、付けられたタイトルがまた詩的で美しかった。それを見て、今まで封印してきた自分の文学好みの面はもしかしたら私を支える強みになってくれるかも知れないと何やら道が開けた気になった。

その頃と相前後して某画廊から個展を開いて下さるとの誘いがあり、売れる可能性のある小品を沢山描くという課題を与えていただいた。全くの抽象はだめで、半抽象的なものをという条件。難しかったけれど何とか10 年位続けさせて頂いた。その半抽象の小品は自由美術展に出品するような大きな作品にも少なからぬ影響を与え、何か以前よりずっと絵が描き易くなったし、どんどん筆がすすむようになっていった。有難いことだった。

半抽象的小品造りがきっかけとなって徐々に自分が描きたいものが明らかになってきた気がした。東京で生まれ育ち、自然に親しむタイプでない両親の元で、土は「泥」と呼び汚く「バイキン」がいっぱい入っていてすぐに洗い落すべきもの。家の中で見かけた虫はすぐさま殺し捨てる(まあ、ハエ・カ・ゴキブリなどが主ですが)といった環境では自然を愛する気持が育つわけもなく、関心は人工的なものに向いていった。

私は自分で描くのとは別にして見るのは風景画が好きなのだが、風景画は普通豊かな自然や農村風景、欧州風景などでたまにある都会の風景があってもそれは都市を否定的に捉えていたりで何か違った。写真家荒木経惟氏が撮る豪徳寺界隈の様な今の普通の東京の佇まいの絵が見たいと思うのだけどなかなか無い。

それなら自分で描いてしまおうと現在は自分の生活している周囲の様子や眼の底に沈んでいるかつての景色を描こうとしている。遅い歩みで我ながらガックリするのだけれど、ようやく自分の描く絵に出会えた気がする。

ささやかな才能とそれに見合う位のささやかな努力とその時々の幸運な出会いと皆々様の御好意に支えられここまで来られたのだと心から思う。感謝、感謝です。