自由美術協会

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広島からの報告

西尾 裕

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「黄人」とは、自由美術広島の研究母体である。名前の由来は、ヨーロッパ旅行に出かけた知人が、インドの港まで帰った際、「黄色人種の肌を見て、その美しさに感動した。」という話を聞いた広島のメンバーが「黄人」と命名したということである。

「黄人展」は、自由美術出品者のみの展覧会であったが、研究の目的であるため一緒に勉強したいという人に解放されるようになった。黄人のメンバーは現在33 名、うち自由美術出品者が20 名という構成となってぃる。

「黄人」の広島を中心に活動しているので広島の人には声をかけやすい。個展に来てくれた人がグループ展や展覧会を開いていたら、とにかくマメに足を運び、つながりを作り絵の話をする。魅力的な作家や興味を示す人には参加を呼びかける。絵を描く仲間を求めている人は意外と多い。 広島のような狭い所では、会派を超えて展覧会を見合い、お互いが助け合わないと絵を描くことそのものが廃れてしまう。日展系のグループも見に行き、必ずサインをして帰ってくる。こうしたことを皆でやっていると、自由美術展にも黄人展にも他会派の人が見に来てくれるようになり、交流が拡がってきた。自由美術展では見に来てくれた人が会場からなかなか出てこない。熱心に見てくれる人が多いのだ。「本当に自由で多様な表現があるのですね。」「作品のレベルがとても高い。」「以前から、この展覧会をされていたのですか?」「かつては敷居が高い感じがしたが変わってきましたね。」等の声が聞かれるようになってきた。

黄人展では、さらに様々な人の出品があり、とても元気が良い。出品者が増えたため、県立美術館を2部屋借りるようになった。これにより複数作品の展示が可能になり、多い人は4点出品したりするようになったので、増々会場に活気が出てくる。他の展覧会では指導者の影響か、似たような作品が並ぶことが多いが、黄人展では全く自由。個々が自身の表現を模索していて多様な可能性を感じることができる。研究会では、よく喋り、新人もベテランもない。こういう雰囲気を皆で作り出しているから参加者の表情が明るい。

素晴らしい作家が集まるのが理想かもしれないが、そうはいかない。定年後に何を目標として生きるかを考えた時、昔好きだった絵を思いっきり描いてみたいという人。子育てが一段落し、何か自分が充実するものを見つけたい人。絵を描く仲間が欲しい人。「黄人」のニーズは結構ある。大切なことは、こちらからハードルを決して上げないこと。始めは稚拙で、いい作品を見たり勉強するうちに大変身を遂げる人は少なくない。特に女性の場合、驚く程変貌する例を私はたくさん知っている。従って女性は貴重な戦力であり、何より社会性に優れ、会が明るくなるのが良いと思っている。

ここ数年、広島では他の会派をやめ、自由美術に出品するケースがある。「自分の思う表現にストップをかけられ、好きなように絵が描けない。」「そこでは自分が伸びないような気がした。」等がその理由である。これも大いに歓迎して、一緒に勉強している。「自由美術は、何を描いてもいいけど、自分で考えなくちゃいけないから大変だ。」と言われた方もおられた。

また近年、広島で大切にしているのが、近県グループとの交流である。山口、香川、岡山など他県のグループ展を見に行くと、地域ごと特徴があり興味深い。山口は維新の国、志士の国だから、各々独自の表現を持ち決して交わることはない。香川は、独自の技法で、制作する作家が多く、ミョウバンを使う話を聞いて驚いた。こうた交流が生まれると、自由の巡回展や黄人展を遠くから見に来られる方が増える。ここ何年か京都からのお客様もあり、本当に有難く思っている。作品についての素直な意見は、新鮮で勉強になるので、自由美術に出品していない黄人のメンバーからも、とても喜ばれている。

広島では、従来の自分のスタイルを壊し、どうすればもっといい絵が描けるかを模索している作家が多い。変わろうとしているから次に何が出てくるか分からない。その姿勢が共感を呼び、自分も変わろうとする背中を押す力になっている。こうした混沌のエネルギーが渦巻いている間は、広島ももう少し期待できるかもしれない。

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