自由美術協会

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70 年代を振り返る

中 嶋 一 雄

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中 嶋 一 雄   「悠遠の時空‘08」 2000 × 3000 × 2400

大阪万博の終了とともに好景気が訪れ、家庭にはカラーテレビ、クーラー、自動車、いわゆる3Cが生活を革新、誰もが団地暮らしに憧れた。又第一次美術ブームといえるものが起こった。それは突如起こったが、1971 年から72 年にかけてのことだったように思える。

72 年の6月田中角栄内閣の誕生によって好景気はさらに触発されたともいえるだろう。

すなわち、田中首相の「日本列島改造論の登場によって、一部の地価が暴騰ともいえる上昇率を示したからである。具象絵画の値段が吊り上がった。このブームで日本全国の具象絵画を扱う画廊は笑いが止まらないほどの収益を上げたといっていいだろう。都市にはビルディングが新築され始めた時期です。それに伴って絵画が売れたと思います。そのころ4,500 軒の画廊が出現したといわれています。いっきに日本の美術好きの国民へと変貌します。そして絵画とは具象でキレイな作品がもてはやされました。とにかく絵画は一般の生活の中に入り大勢の愛好家が増えたことは素晴らしいことです。その頃デパートも全盛時代です。しかしその後のオイルショック後、画廊も150 軒ぐらいに減少し、価格は下落します。その後現代美術といわれた抽象絵画がようやく売れ始め、その作品を飾るビルが多くなり、事務所、会議室に絵が使われ始めます。

70 年は11 月25 日

三島由紀夫氏割腹自殺

人間の価値観の転換、対外関係、経済成長、戦後教育世代の台頭によって、戦後の日本人の価値観が変化したからであるとの仮説が考えられる。前者の説について日米安全保証条約が自動延長し、からっぽな戦後、日本に絶望した三島由紀夫が自衛隊市ヶ谷駐屯地乱入して、天皇陛下万歳と叫んで自決したのは70 年でした。

1972 年、グアム島で残留日本兵の横井庄一氏が帰国。その第一声が「恥ずかしながら帰って参りました。その年の流行語に選ばれるなど、報道は過熱した。帰国の模様を中継した特別番組NHK、民間放送局、その日約7,000 人がテレビで横井氏の姿を目にしたことになる。

1972 年2月 連合赤軍浅間山荘での攻防戦、そして連合赤軍の凄惨なリンチ事件は世間に大きな衝撃を与えた。こうした行動に駆り立てたのは、何だったのか。

1972 年4月 27 年遅れの戦後沖縄復帰、県民約95 万人は日本国民として権利を回復したが、それは多難な前述を予感させるものだった。

72 年7月 田中角栄総裁に選出される。「日本列島改造論」を掲げる田中内閣が記録的な支持率を得て般出した。それは土地神話によりかかったバブル経済への道を、日本が走り始める第一歩であった。

その頃の自由美術について

1964 年8月 38 名の会員が声明書を出して、退会するという事態を迎える。理由は会員が会員の作品を審査する。その審査にあったといわれている。退会者の大部分は「主体美術協会」を結成する。残留会員は「自由美術協会と名称を改めて、活動を持続する。新組織になって協会は64 年「自由美術賞」を、66 年「靉光賞」、68 年「平和賞」を設ける。また66 年から89年までテーマを設けられる。「今日の表現」「今日の証言」「不安」「人間」「非体制」「狂気の記録」「反寓話」「不条理」等である。又、文化庁主催で「現代美術選抜展」が67 年から開催されることで会員の授賞者が選ばれ、68 年度は「自由美術」からは自由賞の3人が、洋画で一木平蔵氏(120 号)「崩壊する風景」、八幡健二氏「或る人」(100 号)。彫刻、中嶋一雄「和の道標」(110× 150 × 100)を出品。会場は島根県立博物館、徳山出光開館、富山県民会館、浦和埼玉会館をまわり、12 月3日に終わる。私の作品は旅に出る前は鎌倉近代美術館に行ってましたので、鎌倉の葉山館に存在しています。

彫刻の世界も70 年代に入ると活発になり、68 年、69 年から小野田セメント主催による白色セメント彫刻が日比谷公園で、70、71 年北の丸公園で、73 年には第1回箱根彫刻の森大賞展が青空の下で開催され感動しました。この美術館の設計は元彫刻部会員の井上武吉氏によるもので夢でも見ている様でした。私も出品しましたが寸法が大き過ぎて美術館入口のトンネルを通れず、分解出来ないかと何回も連絡ありましたが、アルミ鋳造したもので残念ながら、そのままの形態で彫刻の森ホテルの前に2年ぐらいあり、長野の美ヶ原美術館の外の展示場の高い峯に力強く存在しています。

箱根彫刻の森美術館は毎年企画展があり、招待されますので出かけますが、ブルーデル、ロダン、ヘンリームア、その他いつ行っても圧倒されます。

最後になりましたが、自由美術の雰囲気についてとの事ですので一言。他の公募展もわりに見ますが、各会には必ず5、6名の名のある作家が目につきます。他の会員、出品者は誰の系統か何となくわかり、多少気にはなりますが次に進みます。70 年代とは余りにも違います。新美術館で会場も広くなり、キャンバスも大きく光線も良くよくなったせいもあるでしょう。

他の公募団体の違いは64 年、38 名の主体展への退会後の自由美術会員のぞぞれの緊張感にあると思います。66 年自由賞・靉光賞、68 年平和賞、この他に毎年テーマをつけたこと、今日の表現、今日の証言、人間、不安、非体制、狂気の記録等々、このことは、主催者、一般者にも緊張感をもつことになり、楽しそうな他の公募展とは違うと思う。やや小さめのキャンバスもありますが、まったく構わないと思います。

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